っているのを発見して、驚いて飛びあがる。その夜は相宿の人々と炉を囲んで、見るもの聞くもの一々日記帳に書き留めるので、警察の探索方と誤られて、非常に丁寧に取り扱われたなどという※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]話がある。
七日の朝は磯之丞に別れて、村を過ぎ、山を越え、九里の道を徒歩して、目的地の沼田の町に行き着いた。宿は大竹屋。早速に主人を呼んで、塩原多助の本家はどこにあるかと尋ねると、原町という所に塩原という油屋があるから、ともかくも明日呼び寄せますと云う。明くる八日の朝、宿の女房が原町の塩原金右衛門という人を案内して来た。年の頃は六十二、三で、人品賤しからず、ひどく丁寧に挨拶されて円朝も困った。紀行には「わたくしは東京長谷川町梅の屋の親類の者なり。少しお尋ね申したき事ありと、先づ日記の手帳を膝元に置き、初代多助の出生の跡は依然として在りやなど、さま/″\深く問ひけるに、その老人いぶかしく思ひしか、恐る/\申すやうは、先代塩原の家は当所より北の方(三里余)へ隔たりし下新田村と申すなりと、こま/″\と物語り、わたくしは初代の甥にあたる金右衛門と申す
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