者の家にて、下新田を出でて当今は当駅の原町にて油屋を業としてゐると聞き、あら/\事情も解りしが、云々《うんぬん》。」とある。
 それから出発して、その夜は前橋駅の白井屋に一泊。九日には同駅の紺屋町に料理屋を営んでいる妹お藤をたずね、兄妹《きょうだい》久々の対面があって、ここでも円朝は泣かされている。その夜はここに一泊して、十日の早朝から帰途に就く。例の筆法で帰途の日記も詳しく書いてあるが、その日は太田の駅に着いて、呑竜《どんりゅう》上人の新田寺に参詣、はせを屋に一泊。十一日は足利に着いて、原田与左衛門方に一泊。十二日は猿田|川岸《がし》から舟に乗って栗橋に着き、さらに堺川岸から舟を乗り換えて、その夜は舟泊まりとなる。蚊の多いのに困ったとある。十三日は流山、野田を過ぎて、東京深川の扇橋に着く。八月二十九日から十六日間の旅行である。
 梅の屋の女将の話を聞いて、翌日すぐに出発は頗る性急のようでもあるが、その当時の習いとして、八月中は劇場、寄席、その他の興行物がすべて夏休みである。九月もまだ残暑が強いので、円朝などのような好い芸人は上半月を休むのが普通であった。その休業の時間を利用して、この
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