か》しおせきはその月を見るのが何だか怖しいやうに思はれてならなかつた。月が怖しいのではない、その月のひかりに映し出《いだ》される自分の影をみるのが怖しいのであつた。世間ではよい月だと云つて、或《あるい》は二階から仰ぎ、あるひは店先から望み、あるひは往来へ出て眺めてゐるなかで、かれ一人は奥に閉籠《とじこも》つてゐた。
 ――影や道陸神、十三夜の牡丹餅《ぼたもち》――
 子ども等《ら》の歌ふ声々が、おせきの弱い魂を執念ぶかく脅《おびや》かした。

     二

 それ以来、おせきは夜あるきをしなかつた。殊《こと》に月の明るい夜には表へ出るのを恐れるやうになつた。どうしても夜あるきをしなければならないやうな場合には、努めて月のない暗い宵を選んで出ることにしてゐた。世間の娘たちとは反対のこの行動が父や母の注意をひいて、お前はまだそんな詰らないことを気にしてゐるのかと、両親からしば/\叱《しか》られた。而《しか》もおせきの魂に深く食《く》ひ入つた一種の恐怖と不安とはいつまでも消え失せなかつた。
 さうしてゐる中《うち》に、不運のおせきは再び自分の影におどろかされるやうな事件に遭遇した。その年の
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