ない悪戯《いたずら》ではあるが、たとひ影にしても、自分の姿の映つてゐるものを土足で踏みにじられると云ふのは余り愉快なものではない。それに就《つい》てこんな話が伝へられてゐる。
 嘉永《かえい》元年九月十二日の宵である。芝の柴井町《しばいちょう》、近江屋《おうみや》といふ糸屋の娘おせきが神明前《しんめいまえ》の親類をたづねて、五つ(午後八時)前に帰つて来た。あしたは十三夜で、今夜の月も明るかつた。ことしの秋の寒さは例年よりも身にしみて、風邪《かぜ》引《ひ》きが多いといふので、おせきは仕立ておろしの綿入《わたいれ》の両|袖《そで》をかき合せながら、北に向つて足早に辿《たど》つてくると、宇田川町《うだがわちよう》の大通りに五六人の男の児《こ》が駈《か》けまはつて遊んでゐた。影や道陸神《どうろくじん》の唄《うた》の声もきこえた。
 そこを通りぬけて行きかゝると、その子供の群は一度にばら/\と駈けよつて来て、地に映つてゐるおせきの黒い影を踏まうとした。はつと思つて避けようとしたが、もう間にあはない。いたづらの子供たちは前後左右から追取《おつと》りまいて来て、逃げまはる娘の影を思ふがまゝに踏んだ。
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