気ちがひのやうな、半病人のやうな形になつてゐるので、それも先《ま》づそのまゝになつてゐるのを、おせきの親たちは勿論《もちろん》、伯母夫婦もしきりに心配してゐたのであるが、たゞ一通りの意見や説諭ぐらゐでは、何《ど》うしてもおせきの病を癒《なお》すことは出来なかつた。
 なにしろこれは一種の病気であると認めて、近江屋でも嫌がる本人を連れ出して、二三人の医者に診て貰《もら》つたのであるが、どこの医者にも確《たしか》な診断を下すことは出来ないで、おそらく年ごろの娘にあり勝《がち》の気鬱病《きうつびよう》であらうかなどと云ふに過ぎなかつた。そのうちに大野屋の惣領息子《そうりようむすこ》、すなはち要次郎の兄が或《ある》人から下谷《したや》に偉い行者《ぎようじや》があるといふことを聞いて来たが、要次郎はそれを信じなかつた。
「あれは狐使《きつねつか》ひだと云ふことだ。あんな奴《やつ》に祈祷《きとう》を頼むと、却《かえ》つて狐を憑《つ》けられる。」
「いや、その行者はそんなのではない。大抵《たいてい》の気ちがひでも一度御祈祷をして貰へば癒るさうだ。」
 兄弟が頻《しき》りに云ひ争つてゐるのが母の耳にも
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