あるいて、かれの影を踏みながら狂つてゐる。おせきは身をふるはせて要次郎に取縋《とりすが》つた。
「おまへさん、早く追つて……」
「畜生《ちくしよう》。叱《し》つ、叱つ。」
犬は要次郎に追はれながらも、やはりおせきに附纏《つきまと》つてゐるやうに、かれの影を踏みながら跳《おど》り狂つてゐるので、要次郎も癇癪《かんしやく》をおこして、足もとの小石を拾つて二三度|叩《たた》きつけると、二匹の犬は悲鳴をあげて逃げ去つた。
おせきは無事に自分の家《うち》へ送りとゞけられたが、その晩の夢には、二匹の犬がかれの枕もとで駈けまはるのを見た。
三
今まで、おせきは月夜を恐れてゐたのであるが、その後のおせきは昼の日光をも恐れるやうになつた。日光のかゞやくところへ出れば、自分の影が地に映る。それを何者にか踏まれるのが怖しいので、かれは明るい日に表へ出るのを嫌つた。暗い夜を好み、暗い日を好み、家内でも薄暗いところを好むやうになると、当然の結果として彼女《かれ》は陰鬱《いんうつ》な人間となつた。
それが嵩《こう》じて、あくる年の三月頃になると、かれは燈火《あかり》をも嫌ふやうになつた。月と
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