たつけ。」
「だつて、なんだか気になるんですもの。」と、おせきは低い声で訴へるやうに云つた。
「大丈夫だよ。」と、要次郎はまた笑つた。
「大丈夫でせうか。」
 二人はもう宇田川町の通りへ来てゐた。要次郎の云つた通り、この極月《ごくげつ》の寒い夜に、影を踏んで騒ぎまはつてゐるやうな子供のすがたは一人も見出《みいだ》されなかつた。むかしから男女《おとこおんな》の影法師は憎いものに数へられてゐるが、要次郎とおせきはその憎い影法師を土の上に落しながら、摺寄《すりよ》るやうに列《なら》んであるいてゐた。勿論《もちろん》、こゝらの大通りに往来は絶えなかつたが、二つの憎い影法師をわざわざ踏みにじつて通るやうな、意地の悪い通行人もなかつた。
 宇田川町をゆきぬけて、柴井町へ踏み込んだときである。どこかの屋根の上で鴉《からす》の鳴く声がきこえた。
「あら、鴉が……」と、おせきは声のする方をみかへつた。
「月夜鴉だよ。」
 要次郎がかう云つた途端に、二匹の犬がそこらの路地《ろじ》から駈《か》け出して来て、恰《あたか》もおせきの影の上で狂ひまはつた。はつと思つておせきが身をよけると、犬はそれを追ふやうに駈け
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