をたづねると、老いたる行者は又かんがへてゐた。
「それでは私にも祈祷《きとう》の仕様がない。」
 突き放されて、弥助も途方にくれた。
「では、どうしても御祈祷は願はれますまいか。」と、かれは嘆くやうに云つた。
「お気の毒だが、わたしの力には及ばない。しかし、折角《せつかく》たび/\お出でになつたのであるから、もう一度ためして御覧になるがよい。」と、行者は更に一本の蝋燭を渡した。「今夜すぐにこの火を燃《もや》すのではない。今から数へて百日目の夜、時刻はやはり子《ね》の刻《こく》、お忘れなさるな。」
 今から百日といふのでは、あまりに先が長いとも思つたが、弥助はこの行者の前で我儘《わがまま》をいふほどの勇気はなかつた。かれは教へられたまゝに一本の蝋燭をいたゞいて帰つた。
 かういふ事情であるから、おせきの婿取りも当然延期されることになつた。あんな行者などを信仰するのは間違つてゐると、要次郎は蔭でしきりに憤慨してゐたが、周囲の力に圧せられて、彼はおめ/\それに服従するのほかは無かつた。
「夏の中《うち》にどこかの滝にでも打たせたら好からう。」と、要次郎は云つた。かれは近江屋の夫婦を説いて、王子か目黒の滝へおせきを連れ出さうと企てたが、両親は兎《と》も角《かく》も、本人のおせきが外出を堅く拒《こば》むので、それも結局実行されなかつた。
 ことしの夏の暑さは格別で、おせきの夏痩《なつや》せは著《いちじ》るしく眼《め》に立つた。日の目を見ないやうな奥の間《ま》にばかり閉籠《とじこも》つてゐるために、運動不足、それに伴ふ食慾不振がいよ/\彼女《かれ》を疲らせて、さながら生きてゐる幽霊のやうになり果てた。訳を知らない人は癆症《ろうしよう》であらうなどとも噂《うわさ》してゐた。そのあひだに夏も過ぎ、秋も来て、旧暦では秋の終りといふ九月になつた。行者《ぎようじや》に教へられた百日目は九月十二日に相当するのであつた。
 それは今初めて知つたわけではない。行者に教へられた時、弥助夫婦はすぐに其日《そのひ》を繰《く》つてみて、それが十三夜の前日に当ることをあらかじめ知つてゐたのである。おせきが初めて影を踏まれたのは去年の十三夜の前夜で、行者のいふ百日目が恰《あたか》も満一年目の当日であるといふことが、彼女《かれ》の父母《ちちはは》の胸に一種の暗い影を投げた。今度こそはその蝋燭《ろうそく》のひ
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