気ちがひのやうな、半病人のやうな形になつてゐるので、それも先《ま》づそのまゝになつてゐるのを、おせきの親たちは勿論《もちろん》、伯母夫婦もしきりに心配してゐたのであるが、たゞ一通りの意見や説諭ぐらゐでは、何《ど》うしてもおせきの病を癒《なお》すことは出来なかつた。
なにしろこれは一種の病気であると認めて、近江屋でも嫌がる本人を連れ出して、二三人の医者に診て貰《もら》つたのであるが、どこの医者にも確《たしか》な診断を下すことは出来ないで、おそらく年ごろの娘にあり勝《がち》の気鬱病《きうつびよう》であらうかなどと云ふに過ぎなかつた。そのうちに大野屋の惣領息子《そうりようむすこ》、すなはち要次郎の兄が或《ある》人から下谷《したや》に偉い行者《ぎようじや》があるといふことを聞いて来たが、要次郎はそれを信じなかつた。
「あれは狐使《きつねつか》ひだと云ふことだ。あんな奴《やつ》に祈祷《きとう》を頼むと、却《かえ》つて狐を憑《つ》けられる。」
「いや、その行者はそんなのではない。大抵《たいてい》の気ちがひでも一度御祈祷をして貰へば癒るさうだ。」
兄弟が頻《しき》りに云ひ争つてゐるのが母の耳にも這入《はい》つたので、兎《と》も角《かく》もそれを近江屋の親たちに話して聞かせると、迷ひ悩んでゐる弥助夫婦は非常によろこんだ。併《しか》しすぐに娘を連れて行くと云つても、きつと嫌がるに相違ないと思つたので、夫婦だけが先づその行者をたづねて、彼の意見を一応|訊《き》いて来ることにした。それは嘉永《かえい》二年六月のはじめで、今年の梅雨《つゆ》のまだ明け切らない暗い日であつた。
行者の家《うち》は五条の天神《てんじん》の裏通りで、表構《おもてがま》へは左《さ》ほど広くもないが、奥行《おくゆき》のひどく深い家《うち》であるので、この頃の雨の日には一層うす暗く感じられた。何の神か知らないが、それを祭つてある奥の間《ま》には二本の蝋燭《ろうそく》が点《とも》つてゐた。行者は六十以上かとも見える老人で、弥助夫婦からその娘のことを詳しく聴いた後《のち》に、かれはしばらく眼《め》をとぢて考へてゐた。
「自分で自分の影を恐れる――それは不思議のことでござる。では、兎も角もこの蝋燭をあげる。これを持つてお帰りなさるがよい。」
行者は神前にかゞやいてゐる蝋燭の一本を把《と》つて出した。今夜の子《ね》の刻
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