弁解らしいことを言いませんでした。それからお茶をいれて、お菓子なぞを食べて、相変らず仲よく話しているうちに、夏の日もやがて暮れかかって、川向うの山々のわか葉も薄黒くなって来ました。それでも夕御飯までには間があるので、わたくしは二階を降りて風呂へ行きました。
 そんな長湯をしたつもりでもなかったのですが、風呂の番頭さんに背中を流してもらったり、湯あがりのお化粧をしたりして、かれこれ三十分ほどの後に自分の座敷へ戻って来ますと、夫の姿はそこに見えません。女中にきくと、おひとりで散歩にお出かけになったようですという。私もそんなことだろうと思って、別に気にも留めずにいましたが、それから一時間も経って、女中が夕御飯のお膳を運んで来る時分になっても、夫はまだ帰って来ないのでございます。
「どこへ行くとも断わって出ませんでしたか。」
「いいえ、別に……。唯ステッキを持って、ふらりとお出かけになりました。」と、女中は答えました。
 それでも帳場へは何か断わって行ったかも知れないというので、女中は念のために聞合せに行ってくれましたが、帳場でもなんにも知らないというのです。それから一時間を過ぎ、二時間を過ぎ
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