いればよかったのでした。鰻のことなぞは永久に黙っていればよかったのですが、年の若いおしゃべりの私は、ついうっかりと飛んだことを口走ってしまいました。
「あなたその鰻をどうなすって……。」
「小さな鰻だもの、仕様がない。そのまま川へ抛《ほう》り込んでしまったのさ。」
「一ぴきぐらいは食べたでしょう。」
「いや、食わない。」
「いいえ、食べたでしょう。生きたままで……。」
「冗談いっちゃいけない。」
 夫は聞き流すように笑っていましたが、その眼の異様に光ったのが私の注意をひきました。その一|刹那《せつな》に、ああ、悪いことを言ったなと、わたくしも急に気がつきました。結婚後まだ幾日も経たない夫にむかって、迂濶《うかつ》にこんなことを言い出したのは、確かにわたくしが悪かったのです。しかし私として見れば、去年以来この一件が絶えず疑問の種になっているのです。この機会にそれを言い出して、夫の口から相当の説明をきかして貰《もら》いたかったのでございます。
 口では笑っていても、その眼色のよくないのを見て、夫が不機嫌であることを私も直ぐに察しましたので、鰻については再びなんにも言いませんでした。夫も別に
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