やはり何だか気味の悪いような心持でしたから、時々にその人の顔をぬすみ見るぐらいのことで、始終うつむき勝に黙っていました。
わたくし共はそれから無事に東京へ帰りました。両親や妹にむかって、松島さんのことやUの温泉場のことや、それらは随分くわしく話して聞かせましたが、生きた鰻を食べた人のことだけはやはり誰にも話しませんでした。おしゃべりの私がなぜそれを秘密にしていたのか、自分にもよく判りませんが、だんだん考えてみると、単に気味が悪いというばかりでなく、そんなことを無暗に吹聴《ふいちょう》するのは、その人の対して何だか気の毒なように思われたらしいのです。気の毒のように思うという事――それはもう一つ煎じ詰めると、どうも自分の口からはお話が致しにくい事になります。まず大抵はお察しください。
それからひと月ほど過ぎまして、六月はじめの朝でございました。ひとりの男がわたくしの家へたずねて来ました。その名刺に浅井秋夫とあるのを見て、わたくしは又はっ[#「はっ」に傍点]としました。Uの温泉場で松島さんに紹介されて、すでにその姓名を知っていたからです。
浅井さんはまずわたくしの父母に逢い、更にわたく
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