それが負傷兵であることは、その白い服装をみてすぐに判りました。ふたりは釣竿を持っているのです。負傷もたいてい全快したので、このごろは外出を許されて、退屈しのぎに山女を釣りに出るという話を、松島さんから聞かされているので、この人たちもやはりそのお仲間であろうと想像しながら、わたくし共も暫く立ちどまって眺めていますと、やがてその一人が振り返って岸の方を見あげました。
「やあ。」
 それは松島さんでした。
「釣れますか。」
 こちらから声をかけると、松島さんは笑いながら首を振りました。
「釣れません。さかなの泳いでいるのは見えていながら、なかなか餌《えさ》に食いつきませんよ。水があんまり澄んでいるせいですな。」
 それでも全然釣れないのではない。さっきから二|尾《ひき》ほど釣ったといって、松島さんは岸の方へ引っ返して来て、ブリキの缶のなかから大小の魚をつかみ出して見せてくれたので、親戚の者もわたくしも覗《のぞ》いていました。
 その時、わたくしは更に不思議なことを見ました。それがこのお話の眼目《がんもく》ですから、よくお聞きください。松島さんがわたくし共と話しているあいだに、もう一人の男の人、その人の針には頻《しき》りに魚がかかりまして、見ているうちに三尾ほど釣り上げたらしいのです。ただそれだけならば別に子細《しさい》はありませんが、わたくしが松島さんの缶をのぞいて、それからふと――まったく何ごころなしに川の方へ眼をやると、その男の人は一尾の蛇のような長い魚――おそらく鰻でしたろう。それを釣りあげて、手早く針からはずしたかと思うと、ちょっとあたりを見かえって、たちまちに生きたままでむしゃむしゃと食べてしまったのです。たとい鰻にしても、やがて一尺もあろうかと思われる魚を、生きたままで食べるとは……。わたくしはなんだかぞっ[#「ぞっ」に傍点]としました。
 それを見付けたのは私だけで、松島さんも親戚の夫婦の話の方に気をとられていて、いっこうに覚《さと》らなかったらしいのです。鰻をたべた人は又つづけて釣針をおろしていました。それから松島さんとふた言三言お話をして、わたくしどもはそのまま別れて自分の宿へ帰りましたが、生きた鰻を食べた人のことを私は誰にも話しませんでした。その頃のわたくしは年も若いし、かなりにお転婆のおしゃべりの方でしたが、そんなことを口へ出すのも何だか気味が悪いよ
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