平素から御懇意にしている、松島さんという家《うち》の息子さんが一年志願兵の少尉で出征しまして、負傷のために満洲の戦地から後送されて、ここの温泉で療養中でありましたので、わたくしの家からも誰か一度お見舞に行かなければならないというのでしたが、父は会社の用が忙がしく、あいにくに母は病気、ほかに行く者もありませんので、親戚の者が行くというのを幸いに、わたくしも一緒に付いて来ることになったのでございます。
 人間の事というものは不思議なもので、その時にわたくしがここへ参りませんでしたら、わたくしの一生の運命もよほど変ったことになっていたであろうと思われます。勿論、その当時はそんなことを夢にも考えようはずもなく、殊に一種の戦争熱に浮かされて、女のわたくし共までが、やれ恤兵《じゅっぺい》とか慰問とか夢中になって騒ぎ立てている時節でしたから、負傷の軍人を見舞のためにUの温泉場へ出かけて行くなどということを、むしろ喜んでいたくらいでした。
 今日《こんにち》と違いまして、その当時ここまで参りますのは、かなりに不便でございましたが、途中のことなど詳しく申上げる必要もございません。ここへ着いて、まず相当の宿を取りまして、その翌日に松島さんをお見舞に行きました。お菓子や煙草やハンカチーフなどをお土産に持って行きまして、松島さんばかりでなく、ほかの人たちにも分けてあげますと、どなたも大層嬉しがっておいででした。わたくし共はもうひと晩ここに泊って、あくる朝に帰る予定でしたから、その日は自分たちの宿屋へ引揚げて、風呂にはいって休息しましたが、初夏の日はなかなか長いので、夕方から連れの人たちと一緒に散歩に出ました。連れというのは、親戚の夫婦でございます。
 三人は川伝いに、爪先《つまさき》あがりの狭い道をたどって行きました。町の様子はその後よほど変りましたが、山の色、水の音、それは今もむかしも余り変りません。さっきも申す通り、ただ騒々しいのは蛙の声でございました。わたくし共は何を見るともなしに、ぶらぶらと歩いて行くうちに、いつか人家のとぎれた川端へ出ました。岸には芒《すすき》や芦《あし》の葉が青く繁っていて、岩にせかれてむせび落ちる流れの音が、ここらはひとしお高くきこえます。ゆう日はもう山のかげに隠れていましたが、川の上はまだ明るいのです。その川のなかの大きい岩の上に、二人の男の影がみえました。
前へ 次へ
全17ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング