うな気がしましたので、ついそれきりにしてしまったのでございます。
あくる朝ここを発つときに、ふたたび松島さんのところへ尋ねてゆきますと、松島さんの部屋には同じ少尉の負傷者が同宿していました。きのうは外出でもしていたのか、その一人のすがたは見えなかったのですが、きょうは二人とも顔を揃えていて、しかもその一人はきのうの夕方松島さんと一緒に川のなかで釣っていた人、すなわち生きた鰻を食べた人であったので、わたくしは又ぎょっ[#「ぎょっ」に傍点]としました。しかしよく見ると、この人もたぶん一年志願兵でしょう。松島さんも人品の悪くない方ですが、これは更に上品な風采《ふうさい》をそなえた人で、色の浅黒い、眼つきの優しい、いわゆる貴公子然たる人柄で、はきはきした物言いのうちに一種の柔か味を含んでいて……。いえ、いい年をしてこんな事を申上げるのもお恥かしゅうございますから、まずいい加減にいたして置きますが、ともかくこの人が蛇のような鰻を生きたまま食べるなどとは、まったく思いも付かないことでございました。
先方ではわたくしに見られたことを覚らないらしく、平気で元気よく話していましたが、わたくしの方ではやはり何だか気味の悪いような心持でしたから、時々にその人の顔をぬすみ見るぐらいのことで、始終うつむき勝に黙っていました。
わたくし共はそれから無事に東京へ帰りました。両親や妹にむかって、松島さんのことやUの温泉場のことや、それらは随分くわしく話して聞かせましたが、生きた鰻を食べた人のことだけはやはり誰にも話しませんでした。おしゃべりの私がなぜそれを秘密にしていたのか、自分にもよく判りませんが、だんだん考えてみると、単に気味が悪いというばかりでなく、そんなことを無暗に吹聴《ふいちょう》するのは、その人の対して何だか気の毒なように思われたらしいのです。気の毒のように思うという事――それはもう一つ煎じ詰めると、どうも自分の口からはお話が致しにくい事になります。まず大抵はお察しください。
それからひと月ほど過ぎまして、六月はじめの朝でございました。ひとりの男がわたくしの家へたずねて来ました。その名刺に浅井秋夫とあるのを見て、わたくしは又はっ[#「はっ」に傍点]としました。Uの温泉場で松島さんに紹介されて、すでにその姓名を知っていたからです。
浅井さんはまずわたくしの父母に逢い、更にわたく
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