な評判があるのだね」と、思わず身を乗出《のりだ》して相手の顔を覗き込むと、番人は顔を皺《しか》めて少しく低声《こごえ》になり、「これは内證《ないしょう》のお噺《はなし》ですがね、勿論《もちろん》百年も以前《まえ》の事ですから、誰も実地を見たという者もなく、ほんの当推量《あてずいりょう》に過ぎないのですが、昔からの伝説《いいつたえ》に依ると、当時《いま》の殿様の曾祖父様《ひいおじいさま》の時代の噺《はなし》で、その奥様が二歳《ふたつ》になる若様を残して御死亡《おなくなり》になりました、ソコで間もなく他《た》から後妻《にどぞい》をお貰いになって、その二度目の奥様のお腹《はら》にも男のお児様が出来たのです。けれども、其《そ》の奥様は大層お優しい方で、わが産《うみ》の児よりも継子《ままこ》の御総領の方を大層可愛がって、俗《よ》にいう継母《ままはは》根性などと云う事は少しもない、誠に気質《きだて》の美しい方でした。ところが、其《そ》の御総領の若様が五歳《いつつ》になった時、ある日アノ窓の側《そば》で遊んでいる中《うち》、どうした機会《はずみ》か其《そ》の窓の口から真逆《まっさか》さまに転げ墜《お》ちて、敷石で頸《くび》の骨を強く撲《う》ったから堪《たま》りません、其《そ》のまま二言《にごん》といわず即死して了《しま》ったのです。サアそこですね、それに就いて種々《いろいろ》の風説がある。と云うのは、彼《か》の継母の奥様が背後《うしろ》から不意に其《そ》の若様を突落《つきおと》したに相違ないと云う評判で、一時は随分面倒でしたが、何をいうにも証拠のない事、とうとうそれなりに済んで了《しま》ったのです」と息も吐《つ》かずに饒舌《しゃべ》るのを、私も固唾《かたづ》を呑んで聞澄《ききすま》していたが、其《そ》の噺《はなし》の了《おわ》るを待兼《まちか》ねて、「併《しか》しそれが可怪《おかし》いじゃアないか、其《そ》の奥様は大層継子を可愛がったと云うのに、どうして其《そ》んな怖しい事を巧《たく》んだのだろう」相手は私の無経験を嘲《あざ》けるように冷笑《あざわら》って「サアそこが女の浅猿《あさまし》さで、表面《うわべ》は優しく見せかけても内心は如夜叉《にょやしゃ》、総領の継子を殺して我が実子《じっし》を相続人に据えようという怖しい巧《たく》みがあったに相違ないのです。それが一般の評判になった
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