咲く。花壇などには及ばない、垣根の隅でも裏手の空地でも簇々《そうそう》として発生する。あまりに強く、あまりに多いために、ややもすれば軽蔑され勝《がち》の運命にあることは、かの鳳仙花《ほうせんか》などと同様であるが、私は彼を愛すること甚だ深い。
炎天の日盛りに、彼を見るのも好いが、秋の露がようやく繁く、こおろぎの声がいよいよ多くなる時、花もますますその色を増して、明るい日光の下に咲き誇っているのは、いかにも鮮かである。所詮は野人の籬落《りらく》に見るべき花で、富貴の庭に見るべきものではあるまいが、我々の荒庭には欠くべからざる草花の一種である。
その次は薄で、これには幾多の種類があるが、普通に見られるのは糸すすき、縞すすき、鷹の羽すすきに過ぎない。しかも私の最も愛好するのは、そこらに野生の薄である。これは宿根の多年草であるから、もとより種まきの世話もなく、年々歳々おい茂って行くばかりである。野生のすすきは到るところに繁茂しているので、ひと口にカヤと呼ばれて殆《ほとん》ど園芸家には顧みられず、人家の庭に栽えるものではないとさえもいわれているが、絵画や俳句ではなかなか重要の題材と見なされて
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