て、所々に糸瓜を栽えている。棚を作っているのもあり、あるいは大木にからませているのもあり、軒から家根へ這《は》わせているのもあるが、皆それぞれに面白い。由来、へちま[#「へちま」に傍点]というものはぶらり[#「ぶらり」に傍点]と下っている姿が、何となく間が抜けて見えるので、とかくに軽蔑される傾きがあって、人を罵《ののし》る場合にも「へちま[#「へちま」に傍点]野郎」などというが、そのぶらり[#「ぶらり」に傍点]とした所に一種の俳味があり、一種の野趣があることを知らなければならない。その実ばかりでなく、大きい葉にも、黄《きいろ》い花にも野趣横溢、静にそれを眺めていると、まったく都会の塵の浮世を忘れるの感がある。糸瓜を軽蔑する人々こそかえって俗人ではあるまいかと思う。
 次は百日草で、これも野趣に富むがために、一部の人々からは安っぽく見られ易《やす》いものである。梅雨のあける頃から花をつけて、十一月の末まで咲きつづけるのであるから、実に百日以上である上に、紅、黄、白などの花が続々と咲き出すのは、なんとなく爽快の感がある。元来が強い草であるから、蒔きさえすれば生える、生えれば伸びる、伸びれば
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