店の用を片付けて、佐山君は自分の下宿先へ帰った。
疲れている彼は、寝床へもぐり込むとすぐにぐっすりと寝入ってしまった。そうしてこの一夜のうちに、どこでどんなことが起っていたかをなんにも知らなかった。夜があけていつもの通りに出勤すると、どこで聞き出して来たのか、店員たちの間にはこんな奇怪な噂が伝えられた。
「向田大尉がゆうべ火薬庫のそばで殺されたそうだ。」
「いや、大尉じゃない。狐だそうだ。」
きのうの夕方の一条があるので、この話は人一倍に佐山君の耳に強くひびいた。彼はその事件の真相を確かめたいのと、ほかにも店の用事があるのとで、かたがた例よりは早く司令部へ出張すると、司令部の正門からちょうど向田大尉の出て来るのに出逢った。大尉はふだんよりも少し蒼ざめた顔をしていたが、佐山君に対してはやはり丁寧に挨拶して行き過ぎた。呼び止めて、きのうの釣りのことを訊いてみようかとも思ったが、場合が場合であるので、佐山君は遠慮しなければならなかった。
いずれにしても、向田大尉が健在であることは疑うまでもない。大尉が殺されたのではない、狐が殺されたのかも知れない。大尉と狐と、その間にどういう関係がある
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