、お熊の眼からは真白な涙が糸を引いて流れた。罪人が引立てられて白洲を退《さが》る時に、お菊は容易に動かなかった。
「お慈悲でございます、お慈悲でございます。」と、彼女《かれ》は砂利の上を転げながら叫んだ。自分はこれまでに一度も悪いことをした覚えはない。今度のことも據《よんどこ》ろなく頼まれたのであると切《しき》りに訴えたが、彼女《かれ》の涙は名奉行の心を動かすことは能《でき》なかった。しかし名奉行にも涙が無いのではなかった。四人の中で三人は引廻しを申し渡されたにも拘らず、お菊だけは引廻しの恥を免れたのである。仮にも主人に刃《やいば》を向けた彼女《かれ》に対しては、この以上に寛大の仕置を加えようが無いのであった。又四郎その他の者はすべて御構い無しと申渡された。
 牢にいる間に、お熊は窃《そっ》とお菊に約束して、もしお前が命を助かったらば、妾《わたし》の形見として黄八丈の小袖を遣ろうと云った。しかしお菊も助からなかった。いよいよ申渡しを受けて牢屋へ帰った後、お菊もようよう覚悟したらしく、隙を見てお熊に囁いた。
「お内儀さん。お前がお仕置に出る時には、あの黄八丈を召して下さい。寧《いっ》そ思
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