刻みながら厳重の宣告を下した。
 主人の庄三郎は直接この事件に何の関係もなかったが、一家の主人としてこれほどの事件について何にも知らないと云うのが已に不都合であると認められて、家事不取締の廉《かど》を以て江戸追放を申し渡された。彼はその時に五十五歳であった。お常は前にも云う通り、母であり主人であるが為に、生命《いのち》だけは繋がれて流罪になった。お熊と忠七とは密通の廉を以て、町中引廻しの上に浅草(今の小塚原)で獄門に梟《か》けられることになった。忠七は三十歳であった。お久も町中引廻しの上に死罪を申し渡された。最後にお菊は左《さ》の通りの宣告を受けた。
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            庄三郎下女 きく
此者儀主人庄三郎妻つね何程申付候うとも、主人のことに候えば致方《いたしかた》も可有之《これあるべく》の処、又四郎に疵付候段不届至極に付、死罪に申付。但し引廻しに及ばず候。
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 死罪四人の中ではお熊が一番落付いていて、少しも悪びれた姿を見せなかった。忠七とお久は今更のように蒼くなって顫えていた。お菊は白洲の砂利の上に身を投げ伏して泣いた。それを見た時に
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