は思った。
それと同時に彼女《かれ》は黄八丈の小袖も欲かった。若いお内儀さんも気の毒であった。よもやと思うものの、若しお熊さんがこの川へ飛び込んだら何《ど》うなるであろう。彼女《かれ》はまた悚然《ぞっ》とした。
「この川で死ねるかしら。」
お菊は川岸へ出て怖そうに水の面《おもて》を覗いて見た。空はまだ暮れ切れなかったが、水の光は漸次《しだい》に褪めて、薄ら寒い夕靄の色が川下の方から遡るように拡がって来た。水は音もなく静かに流れていた。
番太郎が七つ半(午後五時)の析《き》を打って来たのに驚かされてお菊は慌てて内へ入った。
下
お菊はその晩寝付かれなかった。自分を睨んでいる若旦那の怖い顔や、泣いて自分に頼むような若いお内儀さんの痛々しい顔や、むずかしそうな在所の両親《ふたおや》の顔や、十両の小判や、黄八丈の小袖や、それが走馬燈《まわりどうろう》のように彼女《かれ》の頭の中をくるくる[#「くるくる」に傍点]と廻《めぐ》った。隣に床を延べているお久はと覗いて見ると平日《いつも》は寝付が悪いと口癖のように云っている彼女《かれ》が、今夜に限って枕に顔を押付けるかと思うと、何
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