がら、夢見る人のように考えつめていた。退引《のっぴき》ならない難儀を逃れるのには、寧《いっ》そここを逃げて帰るに限るとも思った。しかし年季中に奉公先から無暗《むやみ》に逃げて帰ったら、物堅い両親が何と云うであろう。たといこの訳を打明けても恐らく真実《ほんとう》とは思ってくれまい。自分の我儘から奉公を嫌って、そんな出鱈目の口実を作って逃げ出して来たものと思われて、厳しく叱られるに相違ない。そうして、正直一図の阿父《おとっ》さんは忌《いや》がる妾《わたし》を無理無体に引摺って、再びこの店へ連れて来るに相違ない。そうなったら、お内儀さんや若いお内儀さんから何《ど》んなに憎まれるであろう。お久どんから何《ど》んなに窘《いじ》められるであろう。それを思うと、お菊は帰るにも帰られなかった。
 長助どんに相談したら必然《きっと》若旦那に訴えるに相違ない。そうなると、妾《わたし》は生証人に曳き出される。お内儀さんやお久どんはそんなことを頼んだ記憶《おぼえ》はないと云うに決っている。妾《わたし》一人が罪をかぶせられて、根も葉もない讒言を構えたと云うことになる。それもあんまり口惜《くやし》いと彼女《かれ》
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