しい。だんだん年頃になるに連れて、その苦がいよいよ重って来たらしく、この足が満足になるならば私は十年ぐらいの寿命を縮めてもいいなどと、さきごろ或る人に語ったという噂もある。それらの願《がん》掛けのためか、あるいは他に子細があるのか知らないが、お照は正月の七草ごろから弁天さまへ日参をはじめた。それも昼なかは人の眼に立つのを厭って、日の暮れるのを待って参詣するのを例としていた。料理屋商売としては、これから忙がしくなろうという灯ともしごろに出てゆくのは、少しく不似合いのようではあるが、彼女はひとり娘である上に、現在は女親ばかりで随分あまやかして育てているのと、もともと狭い土地であるから、弁天の祠まで往復十町あまりに過ぎないので、さのみの時間をも要しないがために、母も別にかれこれも言わなかったらしい。お照は昨夜も参詣に出て行って、こうした最期を遂げたのである。
 清月亭は宵から三組ほどの客が落ち合っていたので、それにまぎれて初めのうちは気も付かなかったが、八時ごろになっても娘が帰って来ないので、母もすこしく不安を感じ出して、念のために雇人を見せにやると、弁天社内にお照のすがたは見えないと言って
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