買ってもいいということになって、すぐに二円五十銭を渡された。父は私の申立《もうしたて》を一から十まで信用したかどうか判らないが、とにかくにヘボンの字書ならば買っておいても損はないという料見であったらしい。その当時に於ける彼の字書の信用は偉いものであった。
 その字書は今も私の書斎の隅に押込まれている。今日《こんにち》ではあまり用をなさないので、私も殆《ほとん》ど忘れていたが、今や先生の訃音《ふいん》を聞くと同時に、俄《にわか》にかの字書を思い出して、塵埃《ほこり》を掃《はた》いて出して見た。父は十年|前《ぜん》に死んだ。先生も今や亡矣《なし》。その当時十五歳の少年は、思い出多きこの字書に対して、そぞろに我身の秋を覚えた。簾《すだれ》の外には梧《きり》の葉が散る。[#地から1字上げ](明治四十四年九月)

     三 品川の台場

 陰《くも》った寒い日、私は高輪《たかなわ》の海岸に立って、灰色の空と真黒の海を眺めた。明治座一月興行の二番目を目下起稿中で、その第三幕目に高輪海岸の場がある。今初めてお目にかかる景色でもないが、とにかくに筆を執《と》るに当って、その実地を一度見たいというよ
前へ 次へ
全9ページ中5ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング