ない。軍《いくさ》のような騒ぎという評は当らない。ここの動揺は確《たしか》に戦場以上であろうと思う。

     二 ヘボン先生

 今朝の新聞を見ると、ヘボン先生は二十一日の朝、米国のイーストオレンジに於て長逝《ちょうせい》せられたとある。ヘボン先生といえば、何人《なんぴと》もすぐに名優|田之助《たのすけ》の足を聯想し、岸田の精※[#「金+奇」、第3水準1−93−23]水《せいきすい》を聯想し、和英字書を聯想するが、私もこの字書に就ては一種の思い出がある。
 私が十五歳で、築地の府立中学校に通っている頃、銀座の旧《きゅう》日報社の北隣《きたどなり》――今は額縁屋《がくぶちや》になっている――にめざまし[#「めざまし」に傍点]と呼ぶ小さい汁粉屋《しるこや》があって、またその隣に間口二|間《けん》ぐらいの床店《とこみせ》同様の古本店があった。その店頭《みせさき》の雑書の中に積まれていたのは、例のヘボン先生の和英字書であった。
 今日《こんにち》ではこれ以上の和英字書も数種刊行されているが、その当時の我々は先《ま》ずヘボン先生の著作に縋《すが》るより他《ほか》はない。私は学校の帰途、その店
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