丸い石を列《なら》べた七、八級の石段がある。登降《あがりおり》はあまり便利でない。それを登り尽した丘の上に、大きい薬師堂は東に向って立っていて、紅白の長い紐を垂れた鰐口《わにぐち》が懸《かか》っている。木連格子《きつれごうし》の前には奉納の絵馬も沢山に懸っている。め[#「め」に白丸傍点]の字を書いた額も見える。千社札も貼ってある。右には桜若葉の小高い崖をめぐらしているが、境内《けいだい》はさのみ広くもないので、堂の前の一段低いところにある家々の軒は、すぐ眼の下に連なって見える。私は時々にここへ散歩に行ったが、いつも朝が早いので、参詣らしい人の影を認めたことはなかった。
 それでもたった一度若い娘が拝んでいるのを見たことがある。娘は十七、八らしい、髪は油気の薄い銀杏返《いちょうがえ》しに結って、紺飛白《こんがすり》の単衣《ひとえもの》に紅い帯を締めていた。その風体《ふうてい》はこの丘の下にある鉱泉会社のサイダー製造に通っている女工らしく思われた。色は少し黒いが容貌《きりょう》は決して醜《みにく》い方ではなかった。娘は湿《ぬ》れた番傘を小脇に抱えたままで、堂の前に久しく跪《ひざまず》いてい
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