くれた。その話に拠《よ》ると、その当時この磯部には浅野家所領の飛び地が約三百石ほどあった。その縁故に因《よ》って大野は浅野家滅亡の後《のち》ここに来て身を落付けたらしい。そうして、大野ともいわず、九郎兵衛とも名乗らず、単に遊謙と称する一個の僧となって、小さい草堂《そうどう》を作って朝夕《ちょうせき》に経を読み、傍《かたわ》らには村の子供たちを集めて読み書きを指南していた。彼が直筆《じきひつ》の手本というものは今も村に残っている。磯部に於ける彼は決して不人望《ふじんぼう》ではなかった。弟子たちにも親切に教えた、色々の慈善をも施した。碓氷川の堤防も自費で修理した。墓碑に寛延の年号が刻んであるのを見るとよほど長命であったらしい。独身の彼は弟子たちの手に因ってその亡骸《なきがら》をここに葬られた。
「これだけ立派な墓が建てられているのを見ると、村の人にはよほど敬慕されていたんでしょうね」と、私はいった。
「そうかも知れません。」
 僧は彼に同情するような柔かい口吻《くちぶり》であった。たとい不忠者にもせよ、不義者にもあれ、縁あって我が寺内《じない》に骨を埋めたからは、平等の慈悲を加えたいという
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