き》には明治時代に新らしく作られたという大きい石碑もある。
 しかし私に取っては大野九郎兵衛の墓の方が注意を惹《ひ》いた。墓は大きい台石《だいいし》の上に高さ五尺ほどの楕円形の石を据《す》えてあって、石の表には慈望遊謙墓《じもうゆうけんはか》、右に寛延○年と彫ってあるが、磨滅しているので何年か能《よ》く読めない。墓の在所《ありか》は本堂の横手で、大きい杉の古木を背後《うしろ》にして、南に向って立っている。その傍《そば》にはまた高い桜の木が聳《そび》えていて、枝はあたかも墓の上を掩うように大きく差出ている。周囲には沢山の古い墓がある。杉の立木は昼を暗くするほどに繁っている。『仮名手本《かなでほん》忠臣蔵』の作者|竹田出雲《たけだいずも》に斧九太夫《おのくだゆう》という名を与えられて以来、殆ど人非人《にんぴにん》のモデルであるように洽《あまね》く世間に伝えられている大野九郎兵衛という一個の元禄武士は、ここを永久の住家《すみか》と定めているのである。
 一昨年初めて参詣した時には、墓の所在《ありか》が知れないので寺僧に頼んで案内してもらった。彼は品の好い若僧《にゃくそう》で、色々詳しく話して
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