家でも心配して叔母のところへ聞合せると、右の次第で屋敷の門を出た後のことは判らなかった。それから二日を過ぎ、三日を過ぎても、伊四郎はその姿をどこにも見せなかった。彼は龍の鱗をかかえたままで、なぜ逐電してしまったのか、誰にも想像が付かなかった。
 ただひとつの手がかりは、当日の九つ半ごろに酒屋の小僧が浜町河岸を通りかかると、今まで晴れていた空がたちまち暗くなって、俗に龍巻《たつまき》という凄まじい旋風《つむじかぜ》が吹き起った。小僧はたまらなくなって、地面にしばらく俯伏《うつぶ》していると、旋風は一としきりで、天地は再び元のように明るくなった。秋の空は青空にかがやいて、大川の水はなんにも知らないように静かに流れていた。旋風は小部分に起ったらしく、そこら近所にも別に被害はないらしく見えた。ただこの小僧のすこし先をあるいていた羽織袴の侍が、旋風のやんだ時にはもう見えなくなっていたということであるが、その一刹那、小僧は眼をとじて地に伏していたのであるから、そのあいだに侍は通り過ぎてしまったのかも知れない。

 伊四郎が見たのは龍ではない、おそらく山椒魚《さんしょううお》であろうという者もあった
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