噂が小ひと月もつづいているうちに、それが叔母の勤めている松平相模守の屋敷へもきこえて、一度それをみせてもらいたいと言って来た。その時には、叔母はもう全快していた。ほかの屋敷とは違うので、伊四郎は快く承知して、新大橋の下屋敷へ出て行ったのは、九月二十日過ぎのうららかに晴れた朝であった。鱗は錦切れにつつんで、小さい白木の箱に入れて、その上を更に袱紗につつんで、大切にかかえて行った。
 叔母は自分が一応検分した上で、さらにそれを奥へささげて行った。幾人が見たのか知らないが、そのあいだ伊四郎は一時《いっとき》ほども待たされた。
「めずらしい物を見たと仰せられて、みなさま御満足でござりました。」と、叔母も喜ばしそうに話した。「これはお前の家の宝じゃ。大切に仕舞って置きなされ。」
 これは奥から下されたのだといって、伊四郎はここでお料理の御馳走になった。彼は酔わない程度に酒をのみ、ひる飯を食って、九つ半(午後一時)過ぐる頃にお暇《いとま》申して出た。
 彼が屋敷の門を出たのは、門番もたしかに見届けたのであるが、伊四郎はそれぎり何処へ行ってしまったのか、その日が暮れても、御徒町の家へは帰らなかった。
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