をきて手には薄《すすき》のひと束を持っていた。十月の日はめっきり詰まって、酒屋の軒ランプはもう火がはいっていた。徳さんの持っている薄の穂が夕闇のなかにほの白くみえた。
「今夜は十三夜ですか。」と、私はふと思い出して言った。
「へえ、片月見になるのも忌《いや》ですから。」
 徳さんは笑いながら薄をみせた。二人は言い合わしたように暗い空をみあげた。後《のち》の月は雨に隠されそうな雲の色であった。私はさびしい心持で徳さんと列んであるいた。袷でももう薄ら寒いような心細い秋風が、すすきの白い穂をそよそよと吹いていた。
 露地の入口へ来ると、あかりもまだつけない家の奥で、お玉さんの尖った声がひびいた。
「なんでえ、なに言ってやあがるんでえ。畜生! 馬鹿野郎!」
 お玉さんが又狂い出したかと思うと、わたしはいよいよ寂しい心持になった。もう珍らしくもないので、薄暗い表には誰も覗いている者もなかった。徳さんは黙って私に会釈《えしゃく》して格子をあけてはいった。格子のあく音がきこえると同時に、南向きの窓が内からがらりとあいた。前にもいった通り、窓は南に向いているので、露地を通っている私は丁度その窓から出た
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