もあった。お玉さんも負けずに何か罵りながら、内から頻りに水を振りまいた。石と水との闘いが時々にこの狭い露地のなかで演ぜられた。
そのうちにお玉さんの家は露地のそばを三尺通り切り縮められることになった。それは露地の奥の土蔵付きの家へ新しく越して来た某実業家の妾が、人力車の自由に出入りのできるだけに露地の幅をひろげてもらいたいと地主に交渉の結果、露地の入口にあるお玉さんの家をどうしても三尺ほどそぎ取らなければならないことになったのである。こういう手前勝手の要求を提出した人は、地主に対しても無論に高い地代を払うことになったに相違なかった。お玉さんの家の修繕費用も先方で全部負担するといった。
「長左衛門さんがおいでなら、わたくしも申すこともありますまいが、今はもう仕様がありません。」と、徳さんは若い地主からその相談を受けた時に、存外素直に承知した。しかし修繕の費用などは一銭も要らないときっぱり跳ね付けた。
それからひと月の後に露地は広くなった。お玉さんの家はそれだけ痩せてしまった。その年の夏も暑かったが、お玉さんの家の窓は夜も昼も雨戸を閉めたままであった。お玉さんの乱暴があまり激しくなったので、徳さんは妹が窓から危険な物を投げ出さない用心に、露地にむかった窓の雨戸を釘付けにしてしまったのであった。お玉さんは内から窓をたたいて何か呶鳴っていた。
暑さが募るにつれて、お玉さんの病気もいよいよ募って来たらしかった。この頃では家のなかで鉄瓶や土瓶を投げ出すような音もきこえた。ときどきには跣足《はだし》で飛び出すこともあった。建具屋のおじいさんももう見ていられなくなって、無理に徳さんをすすめて妹を巣鴨の病院へ入れさせることにした。今の徳さんには入院料を支辨する力もない。さりとて仮りにも一戸を持っている者の家族には施療を許されない規定になっているので、徳さんはとうとうその家を売ることになった。そうして、建具屋のおじいさんの尽力で、お玉さんはいよいよ巣鴨へ送られた。それは九月はじめの陰った日で、お玉さんはこの家を出ることを非常に拒んだ。ようようなだめて人力車に乗せると、お玉さんは幌《ほろ》をかけることを嫌った。
「畜生! べらぼう! 百姓! ざまあ見やがれ。」
お玉さんは町じゅうの人を呪うように大きな声で叫びつづけながら、傲然として人力車にゆられて行った。わたしは露地の口に立って
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