見送った。建具屋のおじいさんと徳さんとは人力車のあとに付いて行った。
「妹も長々御厄介になりました。」
巣鴨から帰って来て、徳さんは近所へ一々挨拶にまわった。そうして、その晩のうちに世帯《しょたい》をたたんで、元の貸本屋の上田屋の二階に同居した。そのあとへは更に手入れをして質屋の隠居さんが越して来た。近所ではあるが町内が違うので、わたしはその後、徳さんの姿を見かけることは殆んどなかった。
それから又二年過ぎた。そうして、柚湯の日に徳さんの死を突然きいたのである。徳さんの末路は悲惨であった。しかし徳さんもお玉さんもあくまで周囲の人間を土百姓と罵って、自分達だけがほんとうの江戸っ子であると誇りつつ、長い一生を強情に押して行ったかと思うと、単に悲惨というよりも、むしろ悲壮の感がないでもない。
そのあくる日の午後に、わたしは再び建具屋のおじいさんに湯屋で逢った。おじいさんは徳さんの葬式から今帰ったところだと言った。
「徳の野郎、あいつは不思議な奴ですよ。なんだか貧乏しているようでしたけれど、いよいよ死んでからその葛籠《つづら》をあらためると、小新しい双子《ふたこ》の綿入れが三枚と羽織が三枚、銘仙の着物と羽織の揃ったのが一組、帯が三本、印半※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、256−15]が四枚、ほかに浴衣が五枚と、それから現金が七十円ほどありましたよ。ところが、今までめったに寄り付いたことのねえ奴等が、やれ姪だの従弟《いとこ》だのといって方々からあつまって来て、片っ端からみんな持って行ってしまいましたよ。世の中は薄情に出来てますね。なるほど徳の野郎が今の奴等と付き合わなかった筈ですよ。」
わたしは黙って聴いていた。そうして、お玉さんはこの頃どうしているかと訊いた。
「お玉は病院へ行ってから、からだはますます丈夫になって、まるで大道臼のように肥ってしまいましたよ。」
「病気の方はどうなんです。」
「いけませんね。もうどうしても癒らないでしょうよ。まあ、あすこで一生を終るんですね。」と、おじいさんは溜め息をついた。「だが、当人としたら其の方が仕合わせかも知れませんよ。」
「そうかも知れませんね。」
二人はそれぎり黙って風呂へはいった。
底本:「岡本綺堂読物選集3 巷談編」青蛙房
1969(昭和44)年9月5日発行
底本の親本:「十番随筆」新作社
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