やあしません。しかしあいつも我儘者ですから、なまじっかの所へ嫁なんぞに行って苦労するよりも、ああやって家で精いっぱい威張り散らして終る方が仕合わせかも知れませんよ。」と、徳さんは寂しく笑った。「おふくろも丁度あんな人間ですから、みんな血を引いているんでしょうよ。」
それからだんだん話してみると、徳さんは妹のことをさのみ苦労にしてもいないらしかった。気のおかしくなるのは当たりまえだぐらいに思っているらしかった。ときどき大きな声などを出して呶鳴ったり騒いだりしても、近所に対して気の毒だとも思っていないらしかった。しかし徳さんが妹を可愛がっていることは私にもよく判った。かれは妹が可哀そうだから、自分もこの年まで独身でいると言った。その代りに少しは道楽もしましたと笑っていた。
これが縁になって、徳さんは私達とも口を利くようになった。途中で逢っても彼は丁寧に時候の挨拶などをした。わたしの家へ仕事に来てから半月ばかりも後のことであったろう、私が或る日の夕方銀座から帰ってくると、町内の酒屋の角で徳さんに逢った。徳さんも仕事の帰りであるらしく、印半※[#「纏」の「广」に代えて「厂」、251−16]をきて手には薄《すすき》のひと束を持っていた。十月の日はめっきり詰まって、酒屋の軒ランプはもう火がはいっていた。徳さんの持っている薄の穂が夕闇のなかにほの白くみえた。
「今夜は十三夜ですか。」と、私はふと思い出して言った。
「へえ、片月見になるのも忌《いや》ですから。」
徳さんは笑いながら薄をみせた。二人は言い合わしたように暗い空をみあげた。後《のち》の月は雨に隠されそうな雲の色であった。私はさびしい心持で徳さんと列んであるいた。袷でももう薄ら寒いような心細い秋風が、すすきの白い穂をそよそよと吹いていた。
露地の入口へ来ると、あかりもまだつけない家の奥で、お玉さんの尖った声がひびいた。
「なんでえ、なに言ってやあがるんでえ。畜生! 馬鹿野郎!」
お玉さんが又狂い出したかと思うと、わたしはいよいよ寂しい心持になった。もう珍らしくもないので、薄暗い表には誰も覗いている者もなかった。徳さんは黙って私に会釈《えしゃく》して格子をあけてはいった。格子のあく音がきこえると同時に、南向きの窓が内からがらりとあいた。前にもいった通り、窓は南に向いているので、露地を通っている私は丁度その窓から出た
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