江戸を見物しまして、七日あまり逗留の後に鎌倉へ帰り着きました。それからその寺で足掛け十六年、わたしが二十六の年まで修業を積みまして、生来|鈍根《どんこん》の人間もまず一人並の出家になり済ましたのでござります。」
生来鈍根と卑下しているが、彼の人柄といい物の言い振りといい、決して愚かな人物とはみえない。しかも鎌倉の名刹《めいさつ》で十六年の修業を積みながら、たとい故郷とはいえ、若い身空でこんな山奥に引籠っているのは、何かの子細《しさい》がなくてはならないと叔父は想像した。
「それで、唯今ではここにお住居でございますか。再び鎌倉へお戻りにならないのでございますか。」
「当分は戻られますまい。」と、僧は答えた。「ここへ帰って来て丸三年になります。これから三年、五年、十年……。あるいは一生……。鎌倉はおろか、他国の土を踏むことも出来ぬかも知れませぬ。」
「御両親は……。」と、叔父は訊いた。
「父も母もこの世にはおりませぬ。ほかに一人の妹がありましたが、これも世を去りました。」
と、僧は暗然として仏壇をみかえった。
「どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったのでございますか。」
「そうで
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