《とやま》村に着く。そこまでは牛馬も通うのであるが、それからは山路がいよいよ嶮しくなって、糸貫川――土地ではイツヌキという。古歌にもいつぬき川と詠まれている。享和雑記には泉除《いずのき》川として一種の伝説を添えてある。――その山川の流れにさかのぼって根尾村に着く。ここらは鮎《あゆ》が名物で、外山から西根尾まで三里のあいだに七ヵ所の簗《やな》をかけて、大きい鮎を捕るのである。根尾から大字《おおあざ》小鹿、松田、下大須《しもおおす》、上大須を過ぎ、明神山から屏風《びょうぶ》山を越えて、はじめて越前へ出るのであるが、そのあいだに上り下りの難所の多いことは言うまでもない。
 叔父は足の達者な方であったが、なんといっても江戸育ちであるから、毎日の山道に疲れ切って、道中は一向にはかどらない。もう一里ばかりで下大須へたどり着くころに、九月の十七日は暮れかかって奥山のゆう風が身にしみて来た。糸貫川とは遠く離れてしまったのであるが、路の一方には底知れぬほどの深い大きい谷がつづいていて、夕靄《ゆうもや》の奥に水の音がかすかに聞える。あたりはだんだんに暗くなる、路はいよいよ迫って来る。誤ってひと足踏み損じた
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