にうごきました。
そして東の山のはから、昨日《きのう》の金角、二十五日のお月さまが、昨日よりは又ずうっと瘠《や》せて上りました。林の中はうすいうすい霧《きり》のようなものでいっぱいになり、西の方からあの梟のお父さんがしょんぼり飛んで帰って来ました。
*
旧暦《きゅうれき》六月二十六日の晩でした。
そらがあんまりよく霽《は》れてもう天《あま》の川《がわ》の水は、すっかりすきとおって冷たく、底のすなごも数えられるよう、またじっと眼をつぶっていると、その流れの音さえも聞えるような気がしました。けれどもそれは或《あるい》は空の高い処を吹いていた風の音だったかも知れません。なぜなら、星がかげろうの向う側にでもあるように、少しゆれたり明るくなったり暗くなったりしていましたから。
獅子鼻《ししはな》の上の松林《まつばやし》には今夜も梟の群が集まりました。今夜は穂吉が来ていました。来てはいましたが一昨日《おととい》の晩の処にでなしに、おじいさんのとまる処よりももっと高いところで小さな枝の二本行きちがい、それからもっと小さな枝が四五本出て、一寸《ちょっと》盃《さかずき》のような形になった処へ、どこから持って来たか藁屑《わらくず》や髪《かみ》の毛などを敷《し》いて臨時に巣《す》がつくられていました。その中に穂吉が半分横になって、じっと目をつぶっていました。梟のお母さんと二人の兄弟とが穂吉のまわりに座《すわ》って、穂吉のからだを支えるようにしていました。林中のふくろうは、今夜は一人も泣いてはいませんでしたが怒《おこ》っていることはみんな、昨夜《ゆうべ》どころではありませんでした。
「傷《いた》みはどうじゃ。いくらか薄《うす》らいだかの。」
あの坊さんの梟がいつもの高い処からやさしく訊《たず》ねました。穂吉は何か云《い》おうとしたようでしたが、ただ眼がパチパチしたばかり、お母さんが代って答えました。
「折角《せっかく》こらえているようでございます。よく物が申せないのでございます。それでもどうしても、今夜のお説教を聴聞《ちょうもん》いたしたいというようでございましたので。もうどうかかまわずご講義をねがいとう存じます。」
梟の坊さんは空を見上げました。
「殊勝《しゅしょう》なお心掛《こころが》けじゃ。それなればこそ、たとえ脚《あし》をば折られても、二度と父母の処へも戻《もど》ったのじゃ。なれども健《すこや》かな二本の脚を、何|面白《おもしろ》いこともないに、捩《ねじ》って折って放すとは、何という浅間《あさま》しい人間の心じゃ。」
「放されましても二本の脚を折られてどうしてまあすぐ飛べましょう。あの萱原《かやはら》の中に落ちてひいひい泣いていたのでございます。それでも昼の間は、誰《たれ》も気付かずやっと夕刻、私が顔を見ようと出て行きましたらこのていたらくでございまする。」
「うん。尤《もっとも》じゃ。なれども他人は恨《うら》むものではないぞよ。みな自《みずか》らがもとなのじゃ。恨みの心は修羅《しゅら》となる。かけても他人は恨むでない。」
穂吉はこれをぼんやり夢のように聞いていました。子供がもう厭《あ》きて「遁《に》がしてやるよ」といって外へ連れて出たのでした。そのとき、ポキッと脚を折ったのです。その両脚は今でもまだしんしんと痛みます。眼を開いてもあたりがみんなぐらぐらして空さえ高くなったり低くなったりわくわくゆれているよう、みんなの声も、ただぼんやりと水の中からでも聞くようです。ああ僕《ぼく》はきっともう死ぬんだ。こんなにつらい位ならほんとうに死んだ方がいい。それでもお父さんやお母さんは泣くだろう。泣くたって一体お父さんたちは、まだ僕の近くに居るだろうか、ああ痛い痛い。穂吉は声もなく泣きました。
「あんまりひどいやつらだ。こっちは何一つ向うの為《ため》に悪いようなことをしないんだ。それをこんなことをして、よこす。もうだまってはいられない。何かし返ししてやろう。」一|疋《ぴき》の若い梟《ふくろう》が高く云いました。すぐ隣《となり》りのが答えました。
「火をつけようじゃないか。今度|屑焼《くずや》きのある晩に燃えてる長い藁《わら》を、一本あの屋根までくわえて来よう。なあに十本も二十本も運んでいるうちにはどれかすぐ燃えつくよ。けれども火事で焼けるのはあんまり楽だ。何かも少しひどいことがないだろうか。」
又その隣りが答えました。
「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突《つ》いてやれ。畜生《ちくしょう》め。」
梟の坊《ぼう》さんは、じっとみんなの云うのを聴《き》いていましたがこの時しずかに云いました。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬじゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇《あだ》を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗うのじゃ。こなたの胸が霽《は》れるときは、かなたの心は燃えるのじゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるじゃ、この身終って次の生《しょう》まで、その妄執《もうしゅう》は絶えぬのじゃ。遂《つい》には共に修羅《しゅら》に入り闘諍《とうそう》しばらくもひまはないじゃ。必らずともにさようのたくみはならぬぞや。」
けたたましくふくろうのお母さんが叫《さけ》びました。
「穂吉穂吉しっかりおし。」
みんなびくっとしました。穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。穂吉のおじいさんも行きました。みんなもまわりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云わせその眼は白く閉じたのです。お父さんの梟は高く叫びました。
「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」
穂吉はパチッと眼をひらきました。それから少し起きあがりました。見えない眼でむりに向うを見ようとしているようでした。
「まあよかったね。やっぱりつかれているんだろう。」女の梟たちは云い合いました。
坊さんの梟はそこで云いました。
「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日じゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちじゃ。月天子《がってんし》山のはを出《い》でんとして、光を放ちたまうとき、疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかい》波羅夷《はらい》の三尊《さんぞん》が、東のそらに出現まします。今宵《こよい》は月は異なれど、まことの心には又あらはれ給《たま》わぬことでない。穂吉どのも、ただ一途《いちず》に聴聞の志じゃげなで、これからさっそく講ずるといたそう。穂吉どの、さぞ痛かろう苦しかろう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩《なや》みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲《じひ》を刻みつけるじゃぞ、いいかや、まことにそれこそ菩提《ぼだい》のたねじゃ。」
梟の坊さんの声が又少し変りました。一座はしいんとなりました。林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳《いか》めしい声で願をたててから昨夜の続きをはじめました。
「梟鵄《きょうし》救護《くご》章 梟鵄救護章
諸《もろもろ》の仁者《じんしゃ》掌《て》を合せて至心に聴《き》き給え。我今|疾翔大力《しっしょうたいりき》が威神力《いじんりき》を享《う》けて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯《ただ》願うらくはかの如来《にょらい》大慈《だいじ》大悲《だいひ》我が小願の中に於《おい》て大神力を現じ給い妄言《もうげん》綺語《きご》の淤泥《おでい》を化《け》して光明|顕色《けんじき》の浄瑠璃《じょうるり》となし、浮華《ふか》の中より清浄《しょうじょう》の青蓮華《しょうれんげ》を開かしめ給わんことを。至心欲願、南無仏《なむぶつ》南無仏南無仏。
爾《そ》の時に疾翔大力、爾迦夷《るかい》に告げて曰《いわ》く、諦《あきらか》に聴け諦に聴け。善《よ》くこれを思念せよ。我今|汝《なんじ》に梟鵄諸の悪禽《あくきん》離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
爾迦夷|則《すなわ》ち両翼《りょうよく》を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離《はな》れ、低く飛揚《ひよう》して疾翔大力を讃嘆《さんたん》すること三匝《さんそう》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して願うらく疾翔大力、疾翔大力、ただ我|等《ら》が為《ため》にこれを説き給え。ただ我等が為にこれを説き給えと。
疾翔大力、微笑《みしょう》して金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《こうべ》に被《かぶ》れるに、諸鳥|歓喜《かんぎ》充満《じゅうまん》せり。則ち説いて曰く、
汝等|審《つまびらか》に諸の悪業《あくごう》を作る。或《あるい》は夜陰《やいん》を以て小禽《しょうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍《ちょうやく》して疲労をなし、唯唯《ただただ》甘美《かんび》の睡眠《すいみん》中にあり、汝等飛躍してこれを握《つか》む。利爪《りそう》深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし、則《すなわ》ちこれを裂《さ》きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《しょうでん》に至り、螺蛤《らこう》を啄《ついば》む。螺蛤|軟泥《なんでい》中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にゅうなん》にして唯温水を憶《おも》う。時に俄《にわか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等これを※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食するに、又|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
悪業《あくごう》を以ての故《ゆえ》に、更《さら》に又諸の悪業を作る。継起《けいき》して遂《つい》に竟《おわ》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ又人|及《および》諸の強鳥を恐《おそ》る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。一度《ひとたび》梟身《きょうしん》を尽《つく》して、又|新《あらた》に梟身を得《う》。審《つまびらか》に諸の患難《かんなん》を被《こうむ》りて、又尽くることなし。
で前の晩は、斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業、挙げて数うることなし、まで講じたが、今夜はその次じゃ。
悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠《まこと》に短いながら、強いお語《ことば》じゃ。先刻人間に恨みを返すとの議があった節、申した如くじゃ、一の悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯の如く展転して、遂《つい》にやむときないじゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くじゃ。これを輪廻《りんね》といい、流転《るてん》という。悪より悪へとめぐることじゃ。継起して遂《つい》に竟《おわ》ることなしと云うがそれじゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯《こ》うじゃ、浮《うか》む瀬《せ》とてもあるまいじゃ。昼は則ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるよう、直《じ》かに申されたのじゃ。勿体《もったい》なくも、我等は光明の日天子《にってんし》をば憚《はば》かり奉《たてまつ》る。いつも闇《やみ》とみちづれじゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金《きん》の矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁《に》げるのじゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征矢《そや》に伐《う》たれるじゃ。それほどまでに我等は悪業《あくごう》の身じゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るることは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思い合せてよろしかろう。諸の強鳥を恐る。鷹《たか》やはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏《からす》などまで恐れねばならぬ情ない身じゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じようなるありさまじゃ、たちまち空で引き裂かれるじゃ、少しのさからいをした
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