から飛び込《こ》んで行って、手伝ってあげようと、何べんも何べんも家のまわりを飛んで見たけれど、どこにもあいてる所はないんだろう。ほんとうに可哀《かあい》そうだねえ、穂吉さんは、けれども泣いちゃいないよ。」
梟のお母さんが、大きな眼を泣いてまぶしそうにしょぼしょぼしながら訊《たず》ねました。
「あの家に猫《ねこ》は居ないようでございましたか。」
「ええ、猫は居なかったようですよ。きっと居ないんです。ずいぶん暫《しば》らく、私はのぞいていたんですけれど、とうとう見えなかったのですから。」
「そんならまあ安心でございます。ほんとうにみなさまに飛んだご迷惑《めいわく》をかけてお申し訳けもございません。みんな穂吉の不注意からでございます。」
「いいえ、いいえ、そんなことはありません。あんな賢《かしこ》いお子さんでも災難というものは仕方ありません。」
林中の女のふくろうがまるで口口に答えました。その音は二町ばかり西の方の大きな藁屋根《わらやね》の中に捕《とら》われている穂吉の処まで、ほんのかすかにでしたけれども聞えたのです。
ふくろうのおじいさんが度々《たびたび》声がかすれながらふくろうのお父さんに云いました。
「もうそうなっては仕方ない。お前は行って穂吉にそっと教えてやったらよかろう、もうこの上は決してばたばたもがいたり、怒《おこ》って人に噛《か》み付いたりしてはいけない。今日中|誰《たれ》もお前を殺さない処を見ると、きっと田螺《たにし》か何かで飼《か》って置くつもりだろうから、今までのように温和《おとな》しくして、決して人に逆《さから》うな、とな。斯《こ》う云って教えて来たらよかろう。」
梟のお父さんは、首を垂れてだまって聴《き》いていました。梟の和尚《おしょう》さんも遠くからこれにできるだけ耳を傾けていましたが大体そのわけがわかったらしく言い添《そ》えました。
「そうじゃ、そうじゃ。いい分別じゃ。序《ついで》に斯う教えて来なされ。このようなひどい目におうて、何悪いことしたむくいじゃと、恨《うら》むようなことがあってはならぬ。この世の罪も数知らず、さきの世の罪も数かぎりない事じゃほどに、この災難もあるのじゃと、よくあきらめて、あんまりひとり嘆《なげ》くでない、あんまり泣けば心も沈《しず》み、からだもとかく損《そこ》ねるじゃ、たとえ足には紐があるとも、今ここへ来て、はじめてとまった処じゃと、いつも気軽でいねばならぬ、とな、斯う云うて下され。ああ、されども、されども、とられた者は又別じゃ。何のさわりも無いものが、とや斯う言うても、何にもならぬ。ああ可哀そうなことじゃ不愍《ふびん》なことじゃ。」
お父さんの梟は何べんも頭を下げました。
「ありがとうございます。ありがとうございます。もうきっとそう申し伝えて参ります。斯《こ》んなお語《ことば》を伝え聞いたら、もう死んでもよいと申しますでございましょう。」
「いや、いや、そうじゃ。斯うも云うて下され。いくら飼われるときまっても、子供心はもとより一向たよりないもの、又近くには猫犬なども居ることじゃ、もし万一の場合は、ただあの疾翔大力《しっしょうたいりき》のおん名を唱えなされとな。そう云うて下され。おお不愍じゃ。」
「ありがとうございます。では行って参ります。」
梟のお母さんが、泣きむせびながら申しました。
「ああ、もしどうぞ、いのちのある間は朝夕二度、私に聞えるよう高く啼《な》いて呉《く》れとおっしゃって下さいませ。」
「いいよ。ではみなさん、行って参ります。」
梟のお父さんは、二三度羽ばたきをして見てから、音もなく滑《すべ》るように向うへ飛んで行きました。梟の坊さんがそれをじっと見送っていましたが、俄《にわ》かにからだをりんとして言いました。
「みなの衆。いつまで泣いてもはてないじゃ。ここの世界は苦界《くがい》という、又《また》忍土《にんど》とも名づけるじゃ。みんなせつないことばかり、涙《なみだ》の乾《かわ》くひまはないのじゃ。ただこの上は、われらと衆生《しゅじょう》と、早くこの苦を離《はな》れる道を知るのが肝要《かんよう》じゃ。この因縁《いんねん》でみなの衆も、よくよく心をひそめて聞きなされ。ただ一人でも穂吉のことから、まことに菩提《ぼだい》の心を発すなれば、穂吉の功徳《くどく》又この座のみなの衆の功徳、かぎりもあらぬことなれば、必らずとくと聴聞《ちょうもん》なされや。昨夜の続きを講じます。
爾《そ》の時に疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかい》に告げて曰《いわ》く、諦《あきらか》に聴《き》け、諦に聴け[#「聴け」は底本では「徳け」]。善《よ》くこれを思念せよ。我今|汝《なんじ》に、梟鵄《きょうし》諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》、離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
爾迦夷《るかい》、則《すなわ》ち両翼《りょうよく》を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離《はな》れ、低く飛揚《ひよう》して疾翔大力を讃嘆《さんたん》すること三匝《さんそう》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して唯《ただ》願うらく、疾翔大力、疾翔大力、ただ我|等《ら》が為《ため》にこれを説き給《たま》え。ただ我等が為にこれを説き給えと。
疾翔大力|微笑《みしょう》して、金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《こうべ》に被《かぶ》れるに、その光|遍《あまね》く一座を照し、諸鳥|歓喜《かんぎ》充満《じゅうまん》せり。則ち説いて曰く、
汝等《なんじら》審《つまびらか》に諸の悪業を作る。或《あるい》は夜陰《やいん》を以て小禽《しょうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍《ちょうやく》して疲労をなし、唯唯《ただただ》甘美《かんび》の睡眠《すいみん》中にあり、汝等飛躍してこれを握《つか》む。利爪《りそう》深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし。則ちこれを裂《さ》きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《しょうでん》に至り螺蛤《らこう》を啄《ついば》む。螺蛤|軟泥《なんでい》中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にゅうなん》にして唯温水を憶《おも》う。時に俄《にわか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等これを※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》するに、又|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業、挙げて数うるなし。
悪業を以ての故《ゆえ》に、更《さら》に又諸の悪業を作る。継起《けいき》して遂《つい》に竟《おわ》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐《おそ》る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。一度《ひとたび》梟身《きょうしん》を尽《つく》して、又|新《あらた》に梟身を得、審《つまびらか》に諸の患難《かんなん》を被《こうむ》りて、又尽くることなし。
で前の晩は、諸鳥歓喜充満せりまで、文の如くに講じたが、此《こ》の席はその次じゃ。則ち説いて曰くと、これは疾翔大力さまが、爾迦夷《るかい》上人《しょうにん》のご懇請《こんせい》によって、直ちに説法をなされたと斯《こ》うじゃ。汝等|審《つまびらか》に諸の悪業を作ると。汝等というは、元来はわれわれ梟《ふくろう》や鵄《とび》などに対して申さるるのじゃが、ご本意は梟にあるのじゃ、あとのご文の罪相を拝するに、みなわれわれのことじゃ。悪業というは、悪は悪いじゃ、業《ごう》とは梵語《ぼんご》でカルマというて、すべて過去になしたることのまだ報《むくい》となってあらわれぬを業という、善業悪業あるじゃ。ここでは悪業という。その事柄《ことがら》を次にあげなされたじゃ。或は夜陰を以て、小禽の家に至ると。みなの衆、他人事《ひとごと》ではないぞよ。よくよく自《みずか》らの胸にたずねて見なされ。夜陰とは夜のくらやみじゃ。以てとは、これに乗じてというがようの意味じゃ。夜のくらやみに乗じてと、斯うじゃ。小禽の家に至る。小禽とは、雀《すずめ》、山雀《やまがら》、四十雀《しじゅうから》、ひわ、百舌《もず》、みそさざい、かけす、つぐみ、すべて形小にして、力ないものは、みな小禽じゃ。その形小さく力無い鳥の家に参るというのじゃが、参るというてもただ訪ねて参るでもなければ、遊びに参るでもないじゃ、内に深く残忍の想を潜《ひそ》め、外又恐るべく悲しむべき夜叉相《やしゃそう》を浮べ、密《ひそ》やかに忍《しの》んで参ると斯う云うことじゃ。このご説法のころは、われらの心も未《いま》だ仲々善心もあったじゃ、小禽の家に至るとお説きなされば、はや聴法《ちょうほう》の者、みな慄然《りつぜん》として座に耐《た》えなかったじゃ。今は仲々そうでない。今ならば疾翔大力さま、まだまだ強く烈《はげ》しくご説法であろうぞよ。みなの衆、よくよく心にしみて聞いて下され。
次のご文は、時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄跳躍して、疲労をなし、唯々甘美の睡眠中にあり。他人事ではないぞよ。どうじゃ、今朝も今朝とて穂吉どの処《ところ》を替《か》えてこの身の上じゃ、」
説教の坊さんの声が、俄《にわか》におろおろして変りました。穂吉のお母さんの梟はまるで帛《きぬ》を裂《さ》くように泣き出し、一座の女の梟は、たちまちそれに従《つ》いて泣きました。
それから男の梟も泣きました。林の中はただむせび泣く声ばかり、風も出て来て、木はみなぐらぐらゆれましたが、仲々|誰《たれ》も泣きやみませんでした。星はだんだんめぐり、赤い火星ももう西ぞらに入りました。
梟の坊さんはしばらくゴホゴホ咳嗽《せき》をしていましたが、やっと心を取り直して、又講義をつづけました。
「みなの衆、まず試《ため》しに、自分がみそさざいにでもなったと考えてご覧《ろう》じ。な。天道《てんとう》さまが、東の空へ金色《こんじき》の矢を射なさるじゃ、林樹は青く枝《えだ》は揺《ゆ》るる、楽しく歌をばうたうのじゃ、仲よくおうた友だちと、枝から枝へ木から木へ、天道さまの光の中を、歌って歌って参るのじゃ、ひるごろならば、涼《すず》しい葉陰《はかげ》にしばしやすんで黙《だま》るのじゃ、又ちちと鳴いて飛び立つじゃ、空の青板をめざすのじゃ、又小流れに参るのじゃ、心の合うた友だちと、ただ暫《しば》らくも離れずに、歌って歌って参るのじゃ、さてお天道さまが、おかくれなされる、からだはつかれてとろりとなる、油のごとく、溶《と》けるごとくじゃ。いつかまぶたは閉じるのじゃ、昼の景色を夢《ゆめ》見るじゃ、からだは枝に留《とど》まれど、心はなおも飛びめぐる、たのしく甘《あま》いつかれの夢の光の中じゃ。そのとき俄かにひやりとする。夢かうつつか、愕《おどろ》き見れば、わが身は裂けて、血は流れるじゃ。燃えるようなる、二つの眼《め》が光ってわれを見詰《みつ》むるじゃ。どうじゃ、声さえ発《た》とうにも、咽喉《のど》が狂《くる》うて音が出ぬじゃ。これが則《すなわ》ち利爪《りそう》深くその身に入り、諸《もろもろ》の小禽痛苦又声を発するなしの意なのじゃぞ。されどもこれは、取らるる鳥より見たるものじゃ。捕《と》る此方《こなた》より眺《なが》むれば、飛躍してこれを握《つか》むと斯《こ》うじゃ。何の罪なく眠れるものを、ただ一打《ひとうち》ととびかかり、鋭《するど》い爪《つめ》でその柔《やわらか》な身体《からだ》をちぎる、鳥は声さえよう発てぬ、こちらはそれを嘲笑《あざわら》いつつ、引き裂くじゃ。何たるあわれのことじゃ。この身とて、今は法師にて、鳥も魚も襲《おそ》わねど、昔《むかし》おもえば身も世もあらぬ。ああ罪業《ざいごう》のこのからだ、夜毎《よごと》夜毎の夢とては、同じく夜叉の業をなす。宿業《しゅくごう》の恐ろしさ、ただただ呆《あき》るるばかりなのじゃ。」
風がザアッとやって来ました。木はみな波のようにゆすれ、坊さんの梟も、その中に漂《ただよ》う舟《ふね》のよう
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