「給仕をやってゐながら、一通りのホテルの作法も知らんのか。」と頬《ほほ》をふくらして給仕を叱《しか》りつけてゐました。私は、ははあ扇風機のことだなと思ひながら、苦笑ひをしてそこを通り過ぎようとしますと、給仕がちょっとこっちを向いて、いかにも申し訳けないといふやうに眼《め》をつぶって見せました。私はそれですっかり気分がよくなったのです。そして、どしどし階段を踏んで、通りに下りました。
 なるほど、毒蛾のことがわかって町をあるくと、さっき停車場からホテルへ来る途中、いろいろ変に見えたけしきも、すっかりもっともと思はれたのです。第一、人道にたくさんたき火のあとのあること、第二繃帯をしたり白いきれで顔を擦《こす》ったりして歩く人の多いこと、第三並木のやなぎに石油ラムプがぶらさがってゐることなどです。私は一軒の床屋に入りました。マリオの町だなんて、仲々大きな床屋がありますよ。向側の鏡が、九枚も上手に継いであって、店が丁度二倍の広さに見えるやうになって居り、糸杉《いとすぎ》やこめ栂《つが》の植木鉢《うゑきばち》がぞろっとならび、親方はもちろん理髪アーティストで、外にもアーティストが六人もゐるんで
前へ 次へ
全16ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング