》みました。
次の朝、私はホテルの広場で、マリオ日日新聞を読みました。三面なんかまるで毒蛾《どくが》の記事で一杯です。
その中に床屋で起ったやうなことも書いてありました。殊にアムモニアの議論のことまで出てゐましたから、私はもうてっきりあの紳士のことだと考へました。きっと新聞記者もあの九つの椅子《いす》のどれかに腰掛けて、じっとあの問答をきいてゐたのです。また一面にはマリオ高等農学校の、ブンゼンといふ博士の、毒蛾に関する論文が載ってゐました。
それによると、毒蛾の鱗粉《りんぷん》は顕微鏡で見ると、まるで槍《やり》の穂のやうに鋭いといふこと、その毒性は或《ある》いは有機酸のためと云ふが、それ丈《だ》けとも思はれないといふこと、予防法としては鱗粉がついたら、まづ強く擦《こす》って拭《ふ》き取るのが一等だといふやうなことがわかるのでした。
さて私はその日は予定の視察をすまして、夕方すぐに十里ばかり南の方のハームキヤといふ町へ行きました。こゝには有名なコワック大学校があるのです。
ハームキヤの町でも毒蛾の噂《うはさ》は実に大へんなものでした。通りにはやはりたき火の痕《あと》もありました
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