心配《しんぱい》そうな息《いき》をこくりとのむ音が近くにした。富沢は蚊帳《かや》の外にここの主人が寝《ね》ながらじっと台所の方へ耳をすましているのを半分|夢《ゆめ》のように見た。
(さあ帰って寝るかな。もっ切り二っつだな。そいでぁこいづと。)(戻《もど》るすか。)さっきの女の声がした。こっちではきせるをたんたん続《つづ》けて叩いていた。(亦《また》来るべぃさ。)何だか哀《あわ》れに云《い》って外へ出たらしい音がした。
 あとはもう聞えないくらいの低《ひく》い物言《ものい》いで隣《とな》りの主人からは安心《あんしん》に似《に》たようなしずかな波動《はどう》がだんだんはっきりなった月あかりのなかを流《なが》れて来た。そして富沢《とみざわ》はまたとろとろした。次々《つぎつぎ》うつるひるのたくさんの青い山々の姿《すがた》や、きらきら光るもやの奥《おく》を誰《だれ》かが高く歌を歌いながら通ったと思ったら富沢はまた弱く呼《よ》びさまされた。おもての扉《と》を誰か酔《よ》ったものが歌いながら烈《はげ》しく叩《たた》いていて主人が「返事《へんじ》するな、返事するな。」と低く娘《むすめ》に云っていた。さ
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