でシラトリキキチ氏の云ったやうにだんだんみんなの心は融《と》けて来たやうに見えましたが実は税務署長は決して油断をしないで絶えず左右に眼を配ってゐました。そのうちにいよいよみんなは酔ってしまってだんだん本音を吹いて来ました。
「や、署長さん。一杯いかゞ、どうです。ワッハッハ。濁り酒、味噌桶《みそをけ》に作るといふのはあんまり旧式だな。もっと最新法の方はいゝな。おい、署長さん。さあ、一杯いかゞ、私の盃をあなた取りませんか。閣下ぁ、ハッハッハ。さあ一杯、」
「いや、わかった、わかった。いや、今晩は実に酩《めい》ていした。辱《かたじ》けない。」
「ワッハッハ。やあ、今度はシラトリさん、さあ、おやりなさい。男子はすべからく決然たるところがなくてはだめですよ。さあ、高田の馬場で堀部安兵衛金丸が三十人を切ったのは実際酒の力だ、面白い、牛も酒を呑《の》むと酔ふといふのは面白い。さあ一杯。なかなかあなたは酒が強い。さあ一杯。」
 一人が行ったと思ふと又一人が来るのでした。
「署長さん。はじめてお目通りを致します。」
「いやはじめて。」
「はじめて、はてなさっきも来ましたかな、二度目だ、ハッハッハ。署長さん、いや献杯、つゝしんで献杯|仕《つかまつ》ります。ハッハッハこの村の濁り酒はもう手に取るやうにわかってゐる、本当にか、さあ、本当ならいつでもやって来い。来るか、畜生、来て見やがれ。アッハッハ、失礼、署長さん署長さん、もう斯《か》うなったらいっそのこと無礼講にしませう。無礼講。おゝい、みんな無礼講だぞ、そもそもだ、濁密の害悪は国家も保証する、税務署も保証すると、ううぃ。献杯、いや献杯、」
「もう沢山、」
「遁《に》げるのか、遁げる気か。ようし、ようし、その気なら許さんぞ。献杯、さあ献杯だ、おゝい貴様ぁ。」
 税務署長はもうすっかり酔ってゐました。シラトリ属も酔ってはゐました。けれども二人とも決して職業も忘れず又油断もしなかったのです。
 それでももうぐたぐたになって何もかもわからないといふふりをしてゐました。それにくらべたら村の方の人たちこそ却《かへ》って本当に酔ってしまったのでした。そのうちに税務署長は少し酒の匂《にほひ》が変って来たのに気がつきました。たしかに今までの酒とはちがった酒が座をまはりはじめてゐました。署長は見ないふりをしながらよく気をつけて盃《さかづき》を見ましたが少し
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