ぶやきました。そしてからだをかゞめて、そろりそろりと、そつちに近《ちか》よつて行《ゆ》きました。
一むらのすすきの陰《かげ》から、嘉十《かじふ》はちよつと顔《かほ》をだして、びつくりしてまたひつ込《こ》めました。六|疋《ぴき》ばかりの鹿《しか》が、さつきの芝原《しばはら》を、ぐるぐるぐるぐる環《わ》になつて廻《まは》つてゐるのでした。嘉十《かじふ》はすすきの隙間《すきま》から、息《いき》をこらしてのぞきました。
太陽《たいやう》が、ちやうど一本《いつぽん》のはんのきの頂《いたゞき》にかかつてゐましたので、その梢《こずゑ》はあやしく青《あを》くひかり、まるで鹿《しか》の群《むれ》を見《み》おろしてぢつと立《た》つてゐる青《あを》いいきもののやうにおもはれました。すすきの穂《ほ》も、一本《いつぽん》づつ銀《ぎん》いろにかがやき、鹿《しか》の毛並《けなみ》がことにその日《ひ》はりつぱでした。
嘉十《かじふ》はよろこんで、そつと片膝《かたひざ》をついてそれに見《み》とれました。
鹿《しか》は大《おほ》きな環《わ》をつくつて、ぐるくるぐるくる廻《まは》つてゐましたが、よく見《み》るとどの鹿《しか》も環《わ》のまんなかの方《はう》に気《き》がとられてゐるやうでした。その証拠《しようこ》には、頭《あたま》も耳《みゝ》も眼《め》もみんなそつちへ向《む》いて、おまけにたびたび、いかにも引《ひ》つぱられるやうに、よろよろと二足《ふたあし》三足《みあし》、環《わ》からはなれてそつちへ寄《よ》つて行《ゆ》きさうにするのでした。
もちろん、その環《わ》のまんなかには、さつきの嘉十《かじふ》の栃《とち》の団子《だんご》がひとかけ置《お》いてあつたのでしたが、鹿《しか》どものしきりに気《き》にかけてゐるのは決《けつ》して団子《だんご》ではなくて、そのとなりの草《くさ》の上《うへ》にくの字《じ》になつて落《お》ちてゐる、嘉十《かじふ》の白《しろ》い手拭《てぬぐひ》らしいのでした。嘉十《かじふ》は痛《いた》い足《あし》をそつと手《て》で曲《ま》げて、苔《こけ》の上《うへ》にきちんと座《すは》りました。
鹿《しか》のめぐりはだんだんゆるやかになり、みんなは交《かは》る交《がは》る、前肢《まへあし》を一本《いつぽん》環《わ》の中《なか》の方《はう》へ出《だ》して、今《いま》にもかけ出《だ》し
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