ありません。何せよほど熟練な水夫たちが漕いで、すばやく船からはなれてゐましたから。」
 そこから小さな嘆息やいのりの聲が聞え、ジヨバンニもカムパネルラもいままで忘れてゐたいろいろのことをぼんやり思ひ出して眼が熱くなりました。
(ああ、その大きな海はパシフイツクといふのではなかつたらうか。
 その氷山の流れる北のはての海で、小さな船に乘つて、風や凍りつく潮水や、烈しい寒さとたたかつて、たれかが一生けんめいはたらいてゐる。ぼくはそのひとにほんたうに氣の毒で、そしてすまないやうな氣がする。ぼくはそのひとのさいはひのためにいつたいどうしたらいいのだらう。)
 ジヨバンニは首を垂れて、すつかりふさぎ込んでしまひました。
「なにがしあはせかわからないです。ほんたうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら、峠の上りも下りもみんなほんたうの幸福に近づく一あしづつですから。」
 燈臺守がなぐさめてゐました。
「ああさうです。ただいちばんのさいはひに至るためにいろいろのかなしみもみんな、おぼしめしです。」
 青年が祈るやうにさう答へました。
 そしてあの姉弟はもうつかれてめいめいに
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