い》なものだ。それはいつでも動《うご》いている。動いているがやっぱり形もきまっている。その色はずいぶんさまざまだ。普通《ふつう》の焚火《たきび》の焔なら橙《だいだい》いろをしている。けれども木によりまたその場処《ばしょ》によっては変《へん》に赤いこともあれば大へん黄いろなこともある。硫黄《いおう》を燃せばちょっと眼《め》のくるっとするような紫《むらさき》いろの焔をあげる。それから銅《どう》を灼《や》くときは孔雀石《くじゃくいし》のような明るい青い火をつくる。こんなにいろはさまざまだがそれはみんなある同じ性質《せいしつ》をもっている。さっき云《い》ったいつでも動いているということもそうだ。それは火というものは軽《かる》いものでいつでも騰《のぼ》ろう騰ろうとしている。それからそれは明るいものだ。硫黄のようなお日さまの光の中ではよくわからない焔でもまっくらな処《ところ》に持《も》って行けば立派《りっぱ》にそこらを明るくする。火というものはいつでも照《て》らそう照らそうとしているものだ。それからも一つは熱《あつ》いということだ。火ならばなんでも熱いものだ。それはいつでも乾《かわ》かそう乾かそう
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