とならば水はみんな下に下ろうとしてお互《たが》い下れるとこまで落《お》ち着《つ》くからだ。波《なみ》ができたら必《かなら》ずそれがなおろうとする。それは波のあがったとこが下ろうとするからだ。このように水のつめたいこと、しめすこと下に行こうとすることは水の性質《せいしつ》なのだ。どうしてそうかと云《い》うならばそれはそう云う性質のものを水と呼ぶのだから仕方《しかた》ない。
それからまたみんなは小鳥を知っている。鶯《うぐいす》やみそさざい、ひわやまたかけすなどからだが小さく大へん軽《かる》い。その飛《と》ぶときはほんとうによく飛ぶ。枝《えだ》から枝へうつるときはその羽をひらいたのさえわからないくらい早く、青ぞらを向《むこ》うへ飛んで行くときは一つのふるえる点のようだ。それほどこれらの鶯やひわなどは身軽《みがる》でよく飛ぶ。また一生けん命《めい》に啼《な》く。うぐいすならば春にはっきり啼く。みそさざいならばからだをうごかすたびにもうきっと啼いているのだ。
これらの鳥のたくさん啼いている林の中へ行けばまるで雨が降《ふ》っているようだ。おまえたちはみんな知っている。このように小さな鳥はよく飛びまたよく啼くものだ。それはたべ物をとってしまっても啼くのをやめない。またやすまない。どうして疲《つか》れないかと思うほどよく飛びまたよく啼くものだ。
そんならなぜ鳥は啼くのかまた飛ぶのか。おまえたちにはわかるだろう。鳥はみな飛ばずにいられないで飛び啼かずに居《い》られないで啼く。それは生れつきなのだ。
さて斯《こ》う云うふうに火はあつく、乾《かわ》かし、照《て》らし騰《のぼ》る、水はつめたく、しめらせ、下る、鳥は飛び、またなく。魚について獣《けもの》についておまえたちはもうみんなその性質を考えることができる。けれども一体どうだろう、小鳥が啼かないでいられず魚が泳《およ》がないでいられないように人はどういうことがしないでいられないだろう。人が何としてもそうしないでいられないことは一体どういう事だろう。考えてごらん。」
アラムハラドは斯う言って堅《かた》く口を結《むす》び十一人の子供《こども》らを見まわしました。子供らはみな一生けん命《めい》考えたのです。大人《おとな》のように指《ゆび》をまげて唇《くちびる》にあてたりまっすぐに床《ゆか》を見たりしました。その中で大臣《だいじん》の
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