そして東京へ遁《に》げました。
東京へ来たらお金が六銭残りました。斉藤平太はその六銭で二度ほど豆腐を食べました。
それから仕事をさがしました。けれども語《ことば》がはっきりしないのでどこの家でも工場でも頭ごなしに追ひました。
斉藤平太はすっかり困って口の中もカサカサしながら三日仕事をさがしました。
それでもどこでも断わられたうとう楢岡《ならをか》工学校の卒業生の斉藤平太は卒倒しました。
巡査がそれに水をかけました。
区役所がそれを引きとりました。それからご飯をやりました。するとすっかり元気になりました。そこで区役所では撒水夫《さんすゐふ》に雇ひました。
斉藤平太はうちへ葉書を出しました。
「エレベータとエスカレータの研究の為《ため》急に東京に参り候《さふらふ》、御不便ながら研究すむうちあの請負の建物はそのまゝお使ひ願ひ候」
お父さんの村長さんは返事も出させませんでした。
平太は夏は脚気《かくけ》にかゝり冬は流行感冒です。そして二年は経《た》ちました。
それでもだんだん東京の事にもなれて来ましたのでつひには昔の専門の建築の方の仕事に入りました。則《すなは》ち平沢組
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