の監督です。
 大工たちに憎まれて見廻り中に高い処《ところ》から木片を投げつけられたり天井に上ってゐるのを知らないふりして板を打ちつけられたりしましたがそれでも仲々愉快でした。
 ですから斉藤平太はうちへ斯《か》う葉書を書いたのです。
「近頃立身致し候。紙幣は障子を張る程|有之《これあり》諸君も尊敬|仕《つかまつり》候。研究も今一足故|暫時《ざんじ》不便を御辛抱願候。」
 お父さんの村長さんは返事も何もさせませんでした。
 ところが平太のお母さんが少し病気になりました。毎日平太のことばかり云ひます。
 そこで仕方なく村長さんも電報を打ちました。
「ハハビャウキ、スグカヘレ。」
 平太はこの時月給をとったばかりでしたから三十円ほど余ってゐました。
 平太はいろいろ考へた末二十円の大きな大きな革のトランクを買ひました。けれどももちろん平太には一張羅《いっちゃうら》の着てゐる麻服があるばかり他に入れるやうなものは何もありませんでしたから親方に頼んで板の上に引いた要《い》らない絵図を三十枚ばかり貰《もら》ってぎっしりそれに詰めました。
(こんなことはごく稀《ま》れです。)
 斉藤平太は故郷の停
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