ったのです。砂利を運ぶ手数がなかったものですから。その代り乱杭《らんぐひ》を二三十本打ちこみましたがね、昼になってその崩れた工合《ぐあひ》を見ましたらまるでまん中から裂けたやうなあんばいだったのです。県からも人が来てしきりに見てゐましたがね、どうもその理由がよくわからなかったやうでした。それでも四日でとにかくもとの通り出来あがったんです。その出来あがった晩は、私たちは十六人、たき火を三つ焚《た》いて番をしてゐました。尤《もっと》も番をするったって何をめあてって云ふこともなし、変なもんでしたが、酒を呑《の》んで騒いでゐましたから、大して淋《さび》しいことはありませんでした。それに五日の月もありましたしね。たゞ寒いのには閉口しましたよ。それでも夜中になって月も沈み話がとぎれるとしいんとなるんですね、遠くで川がざあと流れる音ばかり、俄に気味が悪くなることもありました。それでもたうとう朝までなんにも起らなかったんです。次の晩も外の組が十五人ばかり番しましたがやっぱり何もありませんでした。そこで工事はだんだん延びて行って、尤《もっと》もそこをやってゐるうちに向ふの別の丁場では別の組がどんどんやっ
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